9月に国立新美術館で開催されたオルセー美術館展に続き、
現在はチューリヒ美術館展が開催中。
妻がこういった展示が好きでよかったと思う、
(自分は出不精なので。)
今回の展示は、
モネ、ゴッホ、セザンヌ、ムンク、マティス、
ピカソ、ルソー、シャガール、ダリ等の錚々たる面々。
と言いながらも
研鑽が深い訳でもないし、
風景画は不得手なのでちょっと不安もあった。
ただ、
展示の中盤でベックマンの”女優たち”を観て、
(おお!これこれ♪)
あと、
最後の方でダリの”バラの頭の女”。
(おお!素晴らしい!)
やっぱり人が好きなんだな。
(ダリの”バラの頭の女”、必見。)
昔から思ってた事なんだけれど、
“芸術”とか”アート”の定義って何なんだろう。
特に日本では芸術と言う物が浸透していないので尚更。
もちろん、
自分にも浸透していないから定義がよく分からない。
自ら”芸術家”、”アーティスト”と名乗れば
その作品はそうなんだろうけど
まあ、それはちょっと置いとくとして。
「作品に惹き込まれる、世界観が好き。」
それもそうだけど、芸術でなくても普通にある事だと思う。
「お金を出しても欲しいと言う人がいる。」
芸術と言う物に対して対価を払うのだから、
それは確かにそうかも知れない。
ただ、定義としては弱い。
(じゃ、一体何なんだろう?)
漠然と感じていたのは
人間がその作品に対して自然と一歩距離を置いてしまう
何かしらの力、オーラ、世界観があるって事。
そして、その作品の好き嫌いに関わらず、
敬意を以て接する事が出来ると言うこと。
それが自分の中では”芸術”と呼べるものだった。
そんな中、
今回の展示で自分の中でひとつ
ハッキリと定義づけられたモノがあった。
それは『創造』
こうして活字にすると当たり前の事なのだが
自分の中に表現したいモノがあって、
それを自らの手法で生み出す、創り出す。
それが芸術の定義のひとつだと思った。
ピカソの絵を観て「この位描けるよ。」と思うのと同じで
観た絵を描くのは易い。
ただ、あのテイスト、世界観を思いついた事実、
それを具現化した事実こそが大事で、
既にピカソに因って描かれてしまった以上、
二番煎じで芸術を名乗るのは憚られる。
(模倣がダメと言う訳ではない。)
思いつく事の難しさ、生みの苦しみ、
それが今回感じた”芸術”。
それが顕著だったのが今回のシャガール。
数点展示されていたんだけれど
(ん?この絵、どこかで観た事が・・・。)
そう、
この作品達を観ると分かるのだが、
このニュアンス、似た感じの物が
絵・イラスト・デザイン等で世に沢山出回っている。
(どうりで観た事あると思った。)
これに影響受けた人は
意識的、無意識に関わらず多いと思う。
シャガールの作品が芸術と呼ばれるのは
今日、もの凄く理解出来た。
(シャガールの”婚礼の光”、とてもよかった。
背景を知ったおかげで面白さが増したし、感慨深かった。)
そこまではいいとして。
自分も以前からひとつのテーマで作品は創っているが、
そこまで昇華したい自分としては
“写真”は本当に難しいと改めて感じた。
何と今回の展示も雨。(雨の日はゴアテックススニーカーに限る。便利♪)