この日本で、
いや、世界で考えても
“好きな事”で食べて行くのは、
本当に難しい。
その中でも、
“絵画”の難しさは郡を抜く。
写実画はまだしも
抽象画なんて最難関。
でも、
それだけにその魅力は
人生最大級と言えると思う。
だって、
自分の描きたい絵を描いて、
それをお金出して買ってくれるんだよ。
自分の表現したい物に
対価が発生するなんて、
これ以上の幸せは無いでしょう。
そういう意味で、
彼女の作品は
“お金を出してでも欲しい”
と思わせるものだった。
彼女の絵に初めて観たのはFacebook。
(友人の友人だった事もあり)
たまたま、
自分のタイムラインにあがっていたのを
目にしたのがキッカケだった。
「うわ、うまいなあ。」
自分のボキャブラリーの無さは
残念極まりないが、
その言葉が一番的を得ている。
彼女の絵は
“デッサン”だけで見たら狂っている
(デフォルメ)のに、
観ていて全くおかしくない。
おかしいどころか、
とても気になると言うか
惹き込まれると言うか。
それが彼女の絵だった。
やはり、
自分に無い才能には
もの凄く惹かれるなあ。
人物画の作品を観る時は、
“デッサン”を注視して観る。
デッサンの狂っている絵は
わざ(デフォルメ)となのか、
技術不足なのかで全然違う。
(もちろん、言うまでもなく前者。)
私の友人で、
とても絵の巧い人がいる。
でも、
画家でもイラストレーターでもなく
全く違う職業だ。
絵を諦めた理由はひとつ、
「若きしのピカソのデッサンを観たから。」
私の妻も絵心があり
デッサン画とか常人超えの巧さだが、
絵を諦めた理由が何と同じ。
ピカソと比べんな
って話かも知れないけれど、
10代であんなデッサン描かれたらね。
それほどデッサンは大事で
絵を志す人にとって
脅威なのだと思う。
そんな昨年末のこと。
たんたんが亡くなった後、
部屋に何かを飾ろうと思ったのだが、
写真は何故か違和感があった。
それは妻も同意見だった。
そこへ彼女の絵に出逢った。
(たんたんの絵って、
お願いすれば描いてもらえるのだろうか?)
描いた絵を買うなら分かるが、
お金を出して描いてもらうのだ。
しかも描いてもらえるかどうかも分からない。
(どうやってお願いしようか。)
しかも、
彼女とは
Facebook上で一回やり取りがあっただけで、
面識は無い。
ぬさもとりあえず、
こちらの意向を伝えて
描いて頂けるかどうかを伺ってみる事にした。
そんな矢先、
もの凄くタイムリーな事があって、
すんなり依頼が出来、
すんなり快諾して頂ける運びとなった。
早起きはするもんだ。
そして数日後、
作品が届いた。
「うわあ、たんたんだあ!」
「たんたんだあ!」
家中大騒ぎ。笑
目の色、ウィスカーパッドの膨らみとか絶妙。
描いて下さったのは
画家の”鳥絵ミロ”さん。
(web掲載はミロさんの許可済。)
“家に絵や写真を飾る生活”は、
カメラを始めた20代の頃からの夢。
自分の銘である
To me,photography is the same as drawing pictures.
I’m hoping my artworks would be part of your living and your life.
まんまだね。
こうして時間をかけて、
少しずつ絵が増えて行ったら嬉しいな。
そんな最中、
もうひとつの”大騒ぎ”が。
これは明日のブログをお愉しみに!