「”挑戦”と”邪道”。」

加山又造氏の作品を観た。

 

水墨画しか知らなかったけれど

いろいろあるんだあ。

氏の作品(水墨画)には

批判も多いと聞く。

「これは水墨画ではない。」

と。

 

要は、

水墨画を描く時に

“コンプレッサー”

を使っているからだと言う。

(水墨画特有の”にじみ”を使っていないと言うこと。)

 

芸術を観るのは作品そのものだと思うけれど

手法?

そもそも、

水墨画の定義って何なんだろう。

 

こうじゃなきゃダメだって言う水墨画って

何なんだろう。

 

宗教画でのタブーに挑戦した

ダヴィンチの”リアリズム”や”おしべの描写”、

肖像画の基本を覆した

モナリザの”45度”はどうなのか。

 

その人達の言葉を借りれば、

ダヴィンチの絵は宗教画ではなく

モナリザは肖像画ではないと言う事になる。

 

芸術は、

今も昔も

「新しい挑戦」

に対して門戸も了見も狭い。

 

その点、

カメラの世界はまだいい。

作品を”芸術として”の観点で見るのなら、

作品は結果。

中判カメラでも、一眼レフでも、コンパクトカメラでも

或は写メでもいい。

「何を使って撮った?」

なんて次元で評価する人はいない。

 

ああ、

でも、

“芸術とは”なんて口幅ったいけど、

そこに挑む事が自らを昇華させるのだなあと思う。

 

それにしても

加山又造氏の「月光波濤」は素晴らしい。