「人は変わる事が出来るか。」
まあ
口で言うほど
簡単に変わる事は出来ないだろう。
でも
出来る。
変われるのだ。
ただ
自分だけの力ではまず無理だと思う。
キッカケだけでもいい
某かの助けが要る。
自分の場合は
カミさんとの出逢いだった。
20歳位の頃の自分は
忍耐がなく、
小さい事に腹を立て、
赦す事を知らない
本当に薄っぺらな人間だった。
でも
美容師として
ヘアメイクとして
いろいろ経験を積んだ事。
そして何よりも
カミさんとの出逢いが
自分を大きく変えてくれた。
とにもかくにも
一番は
「世の中にはいろんな人がいて」
人それぞれなのだ。」
と言う事を学ばせてもらった事。
もともと
「自分。」
と言うモノは持っていた。
が、
それだけだと一歩間違うと
ただの頑なな偏屈人間になってしまう。
「自分」に「人それぞれ」
が加わる事で全く違うのだ。
例えば
頭にキた事があったとする。
「自分」
しか持っていないと
自分の常識から逸脱したものは
全て赦せないと言う事になってしまう。
(単にムカつくとか、そういうのは論外。)
経験が浅く、見識が浅いと
こういう風に陥り易い。
でも
「世の中、人それぞれで、
自分の常識と全く違う人も存在するのだ。」
と言う事実を理解する事で
物事を客観的に見れる様になる。
(自分の常識外の人を理解しろと言うのではない、
常識外の人の存在そのものを理解しろと言う事。)
すると
不思議と気持ちが鎮まり
「赦す」と言う選択肢が生まれて来たのだ。
もちろん
「人として。」
赦せない事はその限りではない。
「赦す事。」
これは本当に難しい。
視界が狭く
物事を客観的に見られないとまず無理。
若い頃は経験も浅かったし
それを教えてくれる人もいなかった。
(まあ、あれじゃあ聞く耳持たないだろうけれど。)
自分も
視界が狭く客観的にモノを見れない人間だった。
でも今は
何かが起きても、
距離を置いて見れる様になった。
もちろん
神様ではないので
何でもかんでも赦します。
とまではいかないが
少なくても客観的にモノを見て
判断出来る様にはなった。
これだけで自分的には全然違う。
でも、一番の収穫は
人を赦せる様になった事で
自分を赦せる様にもなった事。
自分の怒りは
「そんな自分が赦せない。」
と言う事が多かった。
自分を苦しめているのが
実は自分だったりした。
自分を赦せる事が出来る様になったことは
自分の人生に於いて
とても大事なことだったと思う。
「赦す事が出来る」=「忍耐」
でもあり、
「忍耐」=「腹が立たない」
そして、
「腹が立たない」=「赦す事が出来る」
なのだ。
ああ、こんなに長くなってしまった。
要は
「20歳の頃よりはいくらかマシになった。」
と言う事なのだが。笑
こんな話を書いたのは
カミさんが
もうすぐ長年勤めた会社を辞めるので
(もちろんクビとかではない。笑)
その話を書こうと思って
(いろいろとね。フフフ。)
どう書こうか考えているウチに
(そういえば、カミさんと出逢ったおかげで、
自分はずいぶん変わったなあ。)
と思って書いてたら
こんなになってしまった。
カミさんと出逢って10年。
自分がこんな風に変われるなんて
思ってもみなかった。
あのままだったら
ホント、面倒臭い偏屈ジジイの完全体の完成だった。
カミさんが何かをしてくれたと言うより
存在そのものが自分を変えてくれた。
本当に
本当に感謝している。
ありがとう。
長い間お疲れさま。
まずはゆっくり休んでくれな(^^)